事例詳細

調査・質問内容

江戸時代に凧揚げを“いかのぼり”と呼んだのはなぜか。

図書館からの回答

公開日 2024/03/27

凧は中国から伝来し、古くから紙鳶(しえん)の文字が使われていました。先がとがっていたり、尾をたくさんつけていた形や揚がる様子、風にはためく様子などから、江戸時代には“いか”“いかのぼり”と呼ばれていました。いかのぼりは上方を中心に流行し、江戸へも広まっていきました。“たこ”は江戸を中心とした方言として使われていました。

いかのぼりがあまりに流行し、怪我人やけんかが増え、幕府は、明暦元年(1655)“市中児童紙鳶あげ禁止令”を出しました。人々は禁止令に対して“いか”ではなく“たこ”ならいいだろうと言い始め、“たこ”に呼び名が変わったと言われています。翌年に幕府は“市中子供タコノボリあげ禁止令”を出し、 “いか”から“たこ”に呼び方が変わったことがわかります。政治と経済の中心が、上方から江戸に移るにつれ変わったという説や、江戸の魚市場では“たこ”の方がよく採れた、上方の“いか”に対抗して江戸では“たこ”にした、など諸説あります。

参考文献

タイトル 注記
民族遊戯大事典 p111~112“凧名称”
凧大百科 p33~34“A 江戸時代初期”、p538~539“三 凧の名称”
江戸時代子ども遊び大事典 p123~125“たこ揚げ(たこあげ)”
凧の民俗誌 p47~52“江戸町民といかのぼり”、p275~281“江戸編年略史表”
p18~21“1 日本の凧”
p28~29“日本の凧の歴史 江戸時代は凧の黄金期”
日本異類図典 p187“凧あげはもともと「イカ」だった”
たこを楽しむ p8~11“いつからあるの?”
ワケあり!?なるほど語源辞典 p67“たこあげ【凧あげ】”

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