事例詳細

調査・質問内容

錦市場について,歴史や変遷を知りたい。

図書館からの回答

公開日 2022/09/22

錦市場のある錦小路の歴史は古く、延暦年間(782-805)に開かれました。もともと“具足小路(ぐそくこうじ)”と呼ばれていたのが、なまって“くその小路”になり、時の天皇である後冷泉天皇が錦小路と改めたと言われています。

元和年間(1615-1623)幕府がはじめて魚問屋の称号を許し、上の店(かみのたな)、錦の店、六条の店を京都の特権的鮮魚市場として三店(さんだな)魚問屋とし、錦市場は本格的な魚市場への第一歩を踏み出しました。

しかし明治維新後、株仲間・三店魚問屋の特権が廃止になります。その影響で倒産が相次ぎ、明治16(1883)年ごろには7軒にまで激減しました。業者たちは同業組合を設けて自主的に規約を厳守し、競合の弊害を避けることにつとめ、明治44(1911)年には水産魚介類業を中心に「錦盛会」が結成され、錦市場は新たに活気を取り戻しました。

昭和2年(1927)に京都市中央卸市場が開業になると、移店も多く出て、その影響は京都の自由市場全体に広がりました。そんな中で、錦市場は卸売市場から小売市場としての再出発を果たします。

本格的に戦争が激しくなってくると、配給制、闇市の出現などで、物を売ろうにも売るものがない状態が続きました。戦後は、広がる闇市に飲み込まれそうになりながらも、錦を守ろうと働きかけた人々に支えられ、その姿を保ち続けました。闇市の撤退後には新たに小売の店が多く参入し、現在に至ります。

参考文献

タイトル 注記
京の庶民史 伝統と技に学ぶフィールドワーク p118~121錦市場の変遷について簡潔な記述あり
キョースマ! 2009年冬号 p76~79錦市場の変遷について詳細な記述あり
京都市中央卸売市場三十年史 p37,38“錦の店市場”
物語としての「家」
京都大事典 p704“錦市場”“錦小路通”
日本歴史地名大系 27 p693“錦小路通”
日本歴史地名大系 27 p693“錦小路通”
宇治拾遺物語 p65~68 第十九“清徳聖,奇特の事” 錦小路の名前の由来

役立つウェブサイト

タイトル 注記
錦市場 2022.9.22 確認

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