事例詳細

調査・質問内容

梅津にあった貯木場について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2020/11/02

梅津は古くより水陸交通の用地で,木材を陸揚げする場所を津(港)と呼び,地名の由来として「梅宮大社のある津」を略して梅津となった説があるように,桂川を通じて丹波から運搬される木材の集散地として栄えた土地でした。

梅津には木材を扱う“木屋”が多くあり,また,筏に加工されて川を運ばれてきた木材を保存しておくための“木場”や“貯木場”と呼ばれる保管所がありました。陸上に設けられた貯木場のほか,川に係留した筏が大水で流失するのを避けるため,池に木材を保管する方法がありました。

明治39年(1906),梅津に近い嵯峨村五島町に,合資嵯峨材木会社(のちの嵯峨材木株式会社)によって木材保管用の池が作られました。明治42年(1909)に拡張され,明治・大正期の木材需要の増加を支えましたが,鉄道の開通やトラック輸送の発達に伴った影響を受け,昭和30年(1955)頃から有栖川の掘り下げ工事の土砂を投入して埋め立てられ,昭和36年(1961)頃には池から陸上貯木場へと姿を変えました。

現在は嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学の敷地となり,保管所の池について記された由緒書の札が建てられています。

参考文献

タイトル 注記
近世木材流通史の研究
嵯峨製材協同組合創立50周年記念誌
京都府誌 上 写真「葛野郡嵯峨村嵯峨木材株式會社貯木場」,p689~691“五、木材取引の状況”
郷土の今昔 p194~200“八、材木会社”,p315~319“三、高度成長と市街化のうずのなかで”
うめづ p101“木材”,p101~102“津(港)”
梅津 p4“校名物語”,p20~23“六、梅津地域の移りかわりと史跡”
私たちのまち、梅津の歴史 p5“1.梅津と梅宮大社”,p8“7.木材の集散地 梅津”“1.江戸時代のころの梅津”

役立つウェブサイト

タイトル 注記
京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ(公開)「葛野郡嵯峨村 貯木場」 2020.11.2 確認

1/1