事例詳細

調査・質問内容

京都で天然痘が流行した時の様子や種痘(予防接種)について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2021/10/02

天然痘は痘瘡(とうそう)や疱瘡(ほうそう)とも呼ばれ,高熱や赤い発疹などができる伝染病です。

奈良時代頃から日本では流行を繰り返してきました。
京都では,平安期の延長6年(928)に流行した時,大極殿で僧が読経をしたり,賀茂祭(葵祭)が中止となりました。

種痘は,患者の膿を利用した「人痘種痘法」と,牛痘を利用する「牛痘種痘法」がありました。
牛痘種痘法は,人痘種痘法よりも安全な方法としてイギリスの医師ジェンナーが開発し,日本へは幕末にシーボルトを通じて伝えられました。
京都では,嘉永2年(1849)9月,日野鼎哉(ひのていさい)が初めて種痘に成功しました。鼎哉は「除痘館」を開設し普及に努めましたが,経済的な理由により二か月後に閉鎖しました。
また同じ頃,熊谷蓮心(直恭)や楢林栄建などが協力し,種痘所の「有信堂(有信社)」を開設しました。有信堂は焼失や移転などの後,明治2年(1869)に京都府の所管となりました。
京都府は,病の恐ろしさや種痘の必要性を周知するなど,天然痘の予防に取り組みました。

こうして種痘の普及により,1980年にWHO(世界保健機関)が伝染病としては初めて,天然痘を根絶したことを宣言しました。

参考文献

タイトル 注記
病が語る日本史 p193~204“七 天然痘と種痘”
平安京の災害史 p76~78“平安初期の疫病”
京の医史跡探訪 p251~252“71 種痘所有信堂と熊谷蓮心”,p288~290“83 京都種痘術創始五十年記念碑”
京の医学 p103~107“牛痘法”
京都の歴史 7 p498~500“町の衛生”
疫病の時代 p91~118“天然痘、その流行と終焉”
天然痘根絶史
京都の医学史展 図版89“蓮心翁祝種痘成功図巻 鉄斎筆”,p83~85“京都の痘科”
鉄斎研究 第60号 60 図版二二“蓮心翁祝壽巻”

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