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調査・質問内容

繁昌神社(はんじょうじんじゃ)の起源について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2021/10/02

繁昌神社は京都市下京区繁昌町にある神社です。町名の由来となった神社で,班女の社(はんにょのやしろ)ともいいます。
祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の三神です。

繁昌神社の起源については『宇治拾遺物語』に「長門前司(ながとぜんじ)の女,葬送の時,本処に帰る事」という次のような説話があります。
「長門前司(長門国の前の国司)には娘が二人いた。妹が病で亡くなったので,葬送しようとしたが,途中で遺骸が家に戻っていたり,根が生えたようにどうしても動かすことができない。家のこの場所に葬られることが故人の遺志であると考え,そのまま埋葬して塚をつくった。家の人々は気味悪く思われて,ほかへ移っていき,歳月を経て,家もなくなり,辺りは塚だけになった。塚の上には社を造り,祀ってあるということだ。」

これが繁昌神社のある場所で,塚は班女塚と呼ばれています。
もともと牛頭天王の妃・針才女(はりさいじょ)を祀っていたともされ,いずれの場合も音が似ているため,「繁昌」の名前になったといわれています。

参考文献

タイトル 注記
京都大事典 p758“繁昌神社”
京都地名語源辞典 p466“繁昌町”
京都の地名由来辞典 p142“繁昌町”
京都の地名検証 3 p50~53“繁昌町”
京都異界の旅 p90~92“成仏できぬ女の執念,針才女(班女)塚”
京都街角の伝説 p67~69“思う人を待ち続けた女心 班女塚”
宇治拾遺物語 上 p393~400“四十七(上四十七)長門前司女葬送時帰本処事〈長門前司の女,葬送の時,本処に帰る事〉巻三-十五”
新編日本古典文学全集 50 宇治拾遺物語 p128~132“十五 長門前司の女,葬送の時本所に帰る事”

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