事例詳細

調査・質問内容

京都の鬼門について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2020/02/27

“鬼門”とは,北東の方角を指します。
古代中国の陰陽の思想で,鬼が出入りし集まる所を言い,日本でもこの方角を忌み嫌うようになったと言われています。

京都盆地の鬼門は,比叡山の方角にあたります。
比叡山延暦寺は延暦7年(788)の創建ですが,延暦13年(794)の平安遷都に先立って,桓武天皇が落慶供養を改めて行い,平安京の鬼門にあたる延暦寺を鎮護国家の寺院として位置づけたと言われています。

また,現在の京都御所と比叡山を結ぶ直線上には,御所の鬼門を守るとされる幸神社(さいのかみしゃ・上京区)や,“皇城表鬼門”と書かれた木札が拝殿の柱に掲げられている赤山禅院(せきざんぜんいん・左京区)があります。

京都市内の民家には,“鬼門除け”の風習として,敷地の北東の角を欠く設計をしたり,南天や柊など邪気を払うとされる植物を植えるなど,さまざまな工夫が見られます。

参考文献

タイトル 注記
鬼の大事典 上 p589~591“きもん〔鬼門〕”
月刊 京都 2013年2月号 p12~15“京の町にみる鬼門の風習”,p28~31“鬼と鬼門の秘密”
図解比叡山のすべて p14~17“インタビュー 比叡山との向き合い方 自分に合った縁が見つかる比叡山”
京都・魔界への招待 p21~22“みやこの艮ー鬼の侵入口封じ”,p31~34“御所と赤山禅院の延長線上に鬼門封じの延暦寺”,p34~35“赤山禅院と御所を結ぶもうひとつの猿神像”
京都奇才物語 p133~140“桓武帝の魔界=精神世界と平安京に仕掛けられた霊的結界”
京都の魔界をゆく p15~17“鬼門の魔景 猿は今も人知れず悪神を封じる”
京都・山城寺院神社大事典 p284~285“幸神社”

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