事例詳細

調査・質問内容

指月寮(しげつりょう)について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2021/01/28

太平洋戦争終戦後,空襲被害の少なかった京都は,家や親を失った5千人弱の子どもたちが他都市からも流入してきたため,全国で4番目に孤児の多い都市でした。
子どもたちを保護・収容する施設が必要であるとして,昭和21年(1946)伏見区桃山町泰長老の宇治川畔にある料理旅館“月見館”の一部を借り受けて,京都市指月寮が開設されました。
建物の2階には,施設の名のもとになった「指月の間」という宴会用の大広間があり,子どもたちの居室にあてられました。
100畳敷きの大広間に,100名前後の子どもたちと20名弱の職員が暮らす中,食料の確保のために山羊を飼い,畑で芋を育てるなど,苦労が絶えない日々でした。

毎年のように宇治川の氾濫で建物が浸水し,子どもたちの生命が危険にさらされるなどの理由から,昭和29年(1954)年に左京区修学院に移転しました。昭和40年(1965)に上京区主税町の児童院に移設統合され,昭和57年(1982)京都市児童福祉センターに改称,平成7年(1995)3月末,センター内の指月寮は休止となりました。

参考文献

タイトル 注記
子どもの幸せを願って 指月寮半世紀誌
京都市児童福祉百年史 p22,56,230~231,234
古都の占領 p229~238“生きるために何を売り,何を買うか 2”
京都市児童院概要 p44~49“指月寮”
京都市政史 第1巻 p668
京都市政史 第2巻 p459~460
京都庶民生活史 p525
京都府百年の年表 4 社会編 p258,291
戦争孤児 「駅の子」たちの思い p18~22“都道府県別戦争孤児数”

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