事例詳細

調査・質問内容

二十六聖人について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2021/04/05

二十六聖人とは豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された二十六名の殉教者のことです。

豊臣秀吉は天正15年(1587)にバテレン追放令を出し,キリスト教の弾圧を行いました。
その後も布教活動は続けられていましたが,慶長元年(1596)に起きたサン・フェリペ号事件をきっかけに,秀吉は京都とその近郊にいる宣教師・信者の処刑を命じました。
彼らは京都の牢に集められ,洛中を引き回しにされたあと耳をそがれ,長崎へと送られました。
26名のなかには修道士のほか,医療従事者や子どもなども含まれており,殉教後にローマ法王により聖人の位を授けられました。

現在,信者たちが暮らした京都市下京区岩上通綾小路には「妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」の石碑が立っています。
また,従事していた病院跡に建つ京都四条病院には二十六聖人出発の地をあらわす「二十六聖人発祥の地」のレリーフがあります。

参考文献

タイトル 注記
京都の渡来文化 p144~159“第八章 南蛮人と京都”
京キリシタンの伝承を歩く p203~225“第十三章 日本二十六聖人とサン・フェリペ号事件”
日本キリスト教歴史大事典 p1065~1066“日本二十六聖人”
国史大辞典 10 p883“二十六聖人”
京のキリシタン史跡を巡る p24~33“二十六聖人発祥の地”
なぜ秀吉はバテレンを追放したのか p195~201“サン・フェリペ事件と秀吉の死”
長崎の殉教者 p37~49“5 日本二六聖人殉教者”
京都地名の由来を歩く p186~188“ダイウス町”

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