事例詳細

調査・質問内容

柳馬場通の歴史について知りたい。

図書館からの回答

公開日 2021/04/05

柳馬場通は,北は丸太町通から南は五条通に至る,京都市街地中央部を南北に走る通りです。平安京の“万里小路(までのこうじ)”に相当しており,“鞠小路(まりこうじ)”とも呼ばれていました。
平安時代,万里小路沿いには歌人の紀貫之邸や源融邸(河原院)があり,室町時代には現在の等持寺町に足利尊氏邸が建てられていました。また,江戸時代には漆屋や葛籠(つづら),扇骨,茶柄杓などの京都を代表する手工業者が町を形成していました。柳馬場通という呼び方が定着したのは江戸時代頃からとされています。

通り名の由来については諸説あります。
二条通付近にあった原野に柳が植えられていたことにちなむ説や,天正17年(1589)二条の南北に開かれ「柳の廓」や「二条柳町」と呼ばれた日本で最初の公許の遊郭の柳並木にちなむ説があります。また“馬揃え”と呼ばれる武家の行事に由来する説として,天正9年(1581)の織田信長が行った馬揃えに由来する説,慶長9年(1604)に遊郭が六条に移った後の跡地で行われた豊国祭臨時祭礼の馬揃えに由来する説などがあります。

参考文献

タイトル 注記
角川日本地名大辞典 26-[1] p1321“万里小路(までのこうじ)”,p1423“柳馬場通”
京都地名語源辞典 p581~582“柳馬場通”
京都通り名ものがたり p157~158“柳馬場通”
京都の大路小路 p35“柳馬場通”
京都の地名検証 2 p327~329“柳馬場通”
四条 2005 夏号 Vol.30 p36~37“上ル・下ルまちかど新発見:柳馬場通”
京都時代MAP 安土桃山編 p60~61“馬揃え”
京都時代MAP 平安京編 p16“平安前期地図 No.03”,p46“平安中期地図 No.01”

1/1