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■京都に関するご質問
民俗(暮らし,しきたり,祭)
質問 1  京都のしきたりで,赤ちゃんが生まれてからの儀式にはどのようなものがあるのか,
 できるだけ詳しく知りたい。
回答
 @『京の儀式作法書 その心としきたり』 (岩上力著 光村推古書院) p36〜に,“お
 七夜”,“宮詣り”,“食初め”,“初節供”,“初誕生日”などが詳しく掲載されています。
 A『近世商家の儀礼と贈答』 (森田登代子著 岩田書院)は,明治初期の豪商の実
 録です。お祝いの品なども紹介されています。

参考資料  @【みらい館を除く全館 所蔵あり】
 A【中央・右中・醍中 所蔵あり】
 
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                              事例作成:2008.6
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質問 2  大原女の絵,および写真で,その装束を見たい。
回答
 @『原色日本服飾史』 (井筒雅風著 光琳社出版)
 A『時代装束』 (京都書院) p133にカラー写真が掲載されています。
 B『家と女性の社会史』 (京都橘女子大学女性歴史文化研究所編日本エディタース
 クール出版部)には,「七十一番職人歌合」「洛中洛外図」からの引用で絵,説明が掲
 載されています。
 絵画でお探しの場合は,
 C『20世紀日本の美術6』 (富山 秀男編集 集英社) 図7
 D『現代日本素描全集1』 (ぎょうせい) 図64〜68
 をご覧ください。
参考資料  @【中央・醍中・東山ほか 所蔵あり】
 A【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 B【中央・醍中・吉祥院・醍醐 所蔵あり】
 C【右中・吉祥院・久世・向島 所蔵あり】
 D【中央・右中 所蔵あり】
 『京都大事典』 (淡交社) 大原女の項  【洛西を除く全館 所蔵あり】
 『日本美術作品レファレンス事典 第二期絵画篇』 (日外アソシエーツ) 【中央・右中
 ・醍中 所蔵あり】 
 『日本美術作品レファレンス事典 絵画篇 近世以前』 (日外アソシエーツ) 【中央・
 右中・伏中・醍中 所蔵あり】


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                              事例作成:2008.6
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質問 3  愛宕山と比叡山がけんかしたという言い伝えを知りたい。
回答  
 比叡山と愛宕山がけんかをした際,比叡山が愛宕山を殴った。愛宕山にはこぶがで
 きて,そのぶん比叡山より高くなったという言い伝えがあります。

参考資料  『愛宕山と愛宕詣り』 (鵜飼均編著 京都愛宕研究会) p25,50 【中央・右中・伏
 中・醍中・洛西 所蔵あり】

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                              事例作成:2008.6
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質問 4  祇園の舞妓さんが,江戸〜明治期に使っていたという手まね言葉について知りたい。
回答
 @『祇園 粋な遊びの世界』 (淡交社) p130に“身振り言葉”として図が,
 A『職人ことば辞典』 (井ノ口有一・堀井令以知共編 桜楓社) p311,312に“身振り
 語”として図・説明があります。それによると,戦前まではよく使用されたとのことです。

参考資料  @【中央・右中・岩倉ほか 所蔵あり】
 A【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】

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                              事例作成:2008.6
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質問 5  八瀬の赦免地踊りで歌われる唄の歌詞を知りたい。
回答
 赦免地踊りは10月10日に八瀬天満宮社の摂社秋元神社で行われる奉納踊りで
 す。
 @『京都郷土芸能誌』 (京都市産業観光局観光課 京都市)に,赦免地踊について
 の説明と歌詞が載っています。
 A『日本民謡大観・復刻』近畿編 (日本放送協会編 日本放送出版協会)に,楽譜
 つきで歌詞が紹介されています。

参考資料  @【右中・醍中 所蔵あり】
 A【中央・醍中 所蔵あり】
 『京都大事典』(淡交社) 【洛西を除く全館 所蔵あり】

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                              事例作成:2008.6
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質問 6  舞妓の衣装についてわかる本を見たい。
回答
 衣装全般については,
 @『未知の京都 舞妓と芸妓』 (相原 恭子文と写真 弘文堂) p154〜に紹介されて
 います。
 髪型,化粧,着付けについては,
 A『日本髪の世界 舞妓の髪型編』 (石原 哲男編著 日本髪資料館)
 B『舞妓の髪型 京・先斗町』 (石原 哲男著 同朋舎出版)
 に詳しく紹介されています。

 花かんざしやおこぼなど,舞妓の装いの小物を扱う商店は,
 C『京の花街祇園』 (杉田 博明文 淡交社) p90〜104に
 紹介されています。

参考資料   @【中央・右中・醍中ほか 所蔵あり】
 A【右中・醍中 所蔵あり】
 B【中央・右中・山科・吉祥院 所蔵あり】
 C【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】

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                              事例作成:2008.6
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質問 7  祇園祭・山鉾巡行コースの変遷について知りたい。
回答
 @『近世祇園祭山鉾巡行志』 (祇園祭山鉾連合会編 祇園祭山鉾連合会) の巡行
 変遷史に図があります。
 A『祇園祭 戦後のあゆみ』 (京都市文化観光局文化課) “第1章 戦後の変遷”
 p1に,山鉾巡行変遷図があります。
 B『祇園祭 写真記録』 (祇園祭山鉾連合会)に, 幕末からの変遷が紹介されてい
 ます。

参考資料  @【右中 所蔵あり】
 A【中央・右中 所蔵あり】
 B【中央・右中・醍中・下京 所蔵あり】

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                              事例作成:2008.6
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質問 8  東寺などのお寺の湯葉料理について知りたい。
回答
 湯葉は豆乳を煮立てたとき,表面にできる薄皮をすくい取ったもので,生ゆばと干ゆ
 ばに大別されます。
 産地としては京都と日光が有名です。日光ゆばは男性的で厚みが京ゆばの2倍あり
 ます。
 その語源には二つの説があります。豆腐上物(とうふのうわもの)が訛った説と,表面
 にしわが寄った様子が姥(うば=老女)に似ているからという説です。
 始まりは仏教とともに伝来したというのが定説で,豆腐と同じように肉類を口にしない
 雲水たちの貴重なタンパク源として,主に精進料理の中でその歴史を重ねてきました
 。湯葉のことを「東寺」と呼んだり,「東寺ゆば」「建仁寺ゆば」の名が残ることから,各
 寺で製造されていたと思われますが,文献がなく当時のそれがどのようなものであっ
 たかはよく分かりません。

 現在,商品として販売されている「東寺ゆば」は昔のそれとは別物で,キノコや野菜を
 湯葉で包んで揚げたものです。具材は店ごとに違います。
 室町時代になると寺を出て庶民の間に広まり始めましたが,製造の都合上広い敷地
 が必要で,かつ作業に手間ひまがかかるため贅沢品でした。それでも江戸時代には
 様々な料理法が考案されていたという記録があります。
 湯葉は現在でも全国区の食べ物とは言えず,関東ではあまり食されていないようで
 す。
 京都では近年その栄養価の高さと風味が注目され,湯葉専門店が増え,各店とも工
 夫を凝らしたメニューで新しい名物となっています。


参考資料  『たべもの起源事典』 (岡田哲編 東京堂出版) p460〜461 ゆばの由来について。
 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】  
 『京とうふ・京ゆば・京みそ』 (京都新聞社出版センター) p28〜29 湯葉の歴史と現
 在の湯葉料理について。 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】  
 『続群書類従 第13輯下』 (続群書類従完成会) p1150 収録の室町時代の茶の
 書「遊学往来」に「豆腐上物」の語句あり。 【中央・右中・醍中 所蔵あり】  
 『図説江戸時代食生活事典』 (日本風俗史学会編 雄山閣) p385〜386 湯葉の歴
 史と料理法,語源についてと文献の紹介。 【中央・右中・醍中・醍醐 所蔵あり】  
 『日本随筆大成 第1期15』 (日本随筆大成編輯部編 吉川弘文館) p535 山東
 京伝の「骨董集」に豆腐上物が訛ってゆばになったとある。 【中央・醍中 所蔵あり】
 『和漢三才図会 下』 (寺島良安著 東京美術) p1461 豆腐皮(トウフノウベ)の項
 目。 【右中 所蔵あり】
 『和漢三才図会 18(東洋文庫532)』 (寺島良安著 平凡社) p210 豆腐の皮(う
 ば)の項目。 【中央・伏中・醍中・北・山科 所蔵あり】 


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                              事例作成:2008.11
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質問 9  祇園祭のくじ改めの所作がわかる映像資料を見たい。
回答
 くじ改めは,山鉾巡行の順番がくじ取り式で決まったとおりであるかを改める儀式で,
 京都市長が奉行役となり,四条堺町に設けられた関所で行われます。(@『写真で見
 る祇園祭のすべて』 島田崇志著 光村推古書院)

 ADVD『京都三大祭 四季に咲く』(京都新聞出版センター)に,扇子を使ってくじの入
 った文箱の結び紐を解き,蓋を取ってくじ札を奉行(市長)に差し出す様子が収録され
 ています。

 右京中央図書館で視聴することができる『京(みやこ)映像ライブラリー 京都〜あの
 頃あの時〜』では,昭和12年頃の“祇園祭 くじ改め”の映像を見ていただけます。

 また,映像資料ではありませんが,下記に紹介する参考資料に,くじ改めの所作につ
 いて,詳しく書かれています。

参考資料  @【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 A【右中・醍中 所蔵あり】
 『祇園祭』 (祇園祭編纂委員会編 筑摩書房) p39〜41,写真もあり 【中央・右中・
 伏中ほか 所蔵あり】
 『祇園祭 戦後のあゆみ』 (京都市文化観光局文化課) p42〜43 【中央・右中 所
 蔵あり】
 『月刊 京都』 (1999年 7月号 白川書院) p60〜61 【右中 所蔵あり】
 『京都祇園祭のすべて』 (婦人画報社) p132 【右中・伏中・岩倉ほか 所蔵あり】
 『太陽 NO.279 特集 祇園祭』 (平凡社) p91 【右中・醍醐 所蔵あり】

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                              事例作成:2008.11
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質問 10  祇園祭のお囃子に使われている和楽器について調べたい。
回答
 祇園囃子に用いられているのは,鉦(かね),太鼓,笛の三種類に限られています。

 鉦は摺り鉦です。摺り鉦は当り鉦とも言います。バチは「カネスリ」と呼ばれており,鹿
 の角に樹脂の柄を付けたものが用いられています。十年ほど前は鯨の髭の柄でし
 た。鉦の中央をコンと打つ場合と,下上下と振ってチキチン(キが上側を打つ)と摺る
 場合とがあり,これらを組み合わせて演奏します。鉦の演奏者を鉦方といい,6〜8人
 で編成されています。

 太鼓は締太鼓です。赤樫黒漆塗の胴に,丸枠に牛皮を張ったものを両側に当てて,
 紅色麻の調緒(しらべお)で皮の周囲にあいている十ヶ所の穴を交互に千鳥掛けに
 し,別の緒でこれを巻いて適当の音高にひきしめるので締太鼓といいます。太鼓の演
 奏者を太鼓方といい,2人います。太鼓方は祇園囃子のリーダーでもあります。次に
 囃す曲目は太鼓方が決定します。
 笛は能管です。祭囃子では一般的に篠笛を使うことが多いので,祇園囃子が能楽の
 影響を受けて発達したと考えられています。能管を用いることで,独特の響きと音色,
 音のメリハリが生まれ,それが祇園祭の特徴の一つになっています。笛の演奏者を
 笛方といい、6〜8人で編成されています。

 下記参考資料の,Cにそれぞれの楽器の説明が載っています。また,Fに鉦が,D
 Fに締太鼓が,Eに能管が,それぞれ写真つきで説明されています。特にEFはカ
 ラー写真で分かりやすいです。


参考資料  @『祗園祭細見 山鉾篇』 (松田元著 京を語る会) p181〜184 【中央・右中・伏中 
 所蔵あり】                                             
 A『都市の祭礼 ―山・鉾・屋台と囃子―』 p80〜83 (植木行宣編 岩田書院) 【中
 央・右中・醍中・下京 所蔵あり】                               
 B『日本の民俗芸能調査報告書集成 13』 p92〜104 (三隅治雄編 海路書院) 【右
 中・醍中 所蔵あり】                                    
 C『日本伝統楽器小辞典』 (郡司すみ編 エイデル研究所) p65〜66,144〜147,
 263〜265 【右中・醍中 所蔵あり】       
 D『日本の楽器 日本の音 1 打楽器』 (高橋秀雄監修 小峰書店) p26 【中央・
 右中・醍中ほか 所蔵あり】                              
 E『日本の楽器 日本の音 3 管楽器』 (高橋秀雄監修 小峰書店) p10 【中央・
 右中・醍中ほか 所蔵あり】                              
 F『打楽器事典』 (網代景介著 音楽之友社) p3 “当り鉦”の項,p109〜110 “締
 太鼓”の項 【中央・醍中・山科 所蔵あり】


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                              事例作成;2009.1
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質問 11  京都に伝わる七不思議をいろいろ知りたい。
回答
 京都の大きな神社や寺院には,たいてい“七不思議”といわれるものがあります。
 “七不思議”とは,伝説・故事を多数的に数えたもので中世からあらわれ,主として景
 気をあおり,名所案内としたり,信仰を集めるために考え出されたもので,自然現象
 や説明のつかない不思議な事柄を数え上げています。 
 起源については,仏教の不可思議七種がもとになっている説,陰陽道と仏教思想を
 混合して“七不思議”信仰がもたらされたとする説もありますが,詳細は不明です。                
 また,伝承の数が七つより多くても少なくても“七不思議”といわれています。

 @『京都大事典』 (淡交社) では,“知恩院の七不思議”について,七つに限らず多
 数の伝承があることを前置きした上で,主なものとして「忘れ傘」「無銘塔」「瓜生石(う
 りゅういし)」「三方真向(まむき)の猫」「鶯張りの廊下」「大杓子」「開けずの棺」を,こ
 のほかに有名なところとして「大方丈襖絵の抜け雀」「本堂棟上の大瓦」「境内の一葉
 の松および不断桜」「塔頭崇泰院の親鸞逆さ杉」を挙げています。“出水七不思議”に
 ついては,「時雨松」「応挙の幽霊」「日限(ひぎり)薬師」「浮かれ猫」「観音寺の山門」
 「金谷水」「寝釈迦」を挙げています。

 京都に伝わる七不思議については,以下の資料でご覧いただけます。
 @『京都大事典』 (淡交社) p695 “七不思議” ,p229 “祗園七不思議” ,p613
 “知恩院七不思議” ,p639 “出水七不思議”の各項目       
 A『京都の七不思議上・下』 (田中緑紅著 京を語る会)・B『京の怪談と七不思議』
 (京を語る会) p55〜には,“本願寺七宝物由来”をはじめ,東福寺や金閣寺など三
 十箇所の“七不思議”について言及されています。
 C『都の数えうた』 (京都新聞社) p143,144 “知恩院の七不思議”, p150 “島原
 七不思議”, p152,153 “出水七不思議”, p155,156 “西本願寺七不思議”の各
 項目
 D『知恩院物語 上巻』 (田中緑紅著,京を語る会) p42〜46 “忘れ傘と濡髪祠”
 の項目
 E『知恩院物語 下巻』 (田中緑紅著,京を語る会) p16〜21 “七不思議”の項目 
 F『京都の伝説 (日本の伝説1)』 (駒敏郎・中川正文著 角川書店) p18〜20 
 “知恩院の七不思議”の項目
 G『京の七不思議』 (井上頼寿著 郷土文化研究会)


参考資料  @【洛西を除く全館 所蔵あり】
 A【中央・伏中・醍中 所蔵あり】
 B【右中・伏中・醍中 所蔵あり】
 C【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 D【中央・伏中 所蔵あり】
 E【中央・伏中 所蔵あり】
 F【右中・伏中・北ほか 所蔵あり】
 G【右中 所蔵あり】
 『京の寺 不思議見聞録』 (佐々木昇著 同朋舎) 【中央・右中・伏中ほか 所蔵
 あり】
 『京の古寺あるき』 (有楽出版社) 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】    


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                              事例作成:2009.1
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質問 12  雛飾りの京風と関東風の違いについて知りたい。
回答
 雛人形の飾り方は文献や時代によっても異なるので,七段飾りにした場合の京風と
 関東風の大きな特徴のみを挙げます。
 ■京風
    [1]男雛・女雛の並び方  (向かって左)女雛 (右)男雛
    [2]官女の持ち物   (左)長柄銚子 (中央)島台 (右)加え銚子
    [3]五人囃もしくは楽人
    [4]随身の衣装が決まっている  (左)若者・黒の衣装  (右)老人・赤の衣装
    [5]仕丁の道具   (左)熊手 (中央)ちりとりを前に置く (右)ほうき
    [6][7]飾り
 ■関東風
    [1]男雛・女雛の並び方  (向かって左)男雛  (右)女雛
    [2]官女の持ち物   (左)長柄銚子 (中央)三方 (右)加え銚子
    [3]五人囃もしくは楽人
    [4]随身の衣装が決まっていない  (左)若者  (右)老人
    [5]仕丁の道具   (左)台傘 (中央)沓台 (右)立傘
    [6][7]飾り
 ※官女と仕丁の持ち物の右端と左端は京風・関東風ともに順不同。

 <男雛と女雛の左右について>
 京風は向かって左が女雛,右が男雛。関東風は左右が逆で,向かって右が女雛,左
 が男雛になっています。古来の習慣では左が女雛,右が男雛とされていました。これ
 は雛人形の飾り方が内裏をモデルにしているので,天皇からみて上位とされる左(向
 かって右)に男雛,右(向かって左)に女雛を配置していたものです。それが昭和天皇
 の即位式の折,向かって左に天皇,右に皇后が位置していたことから,これを参考に
 東京の雛人形界が男雛・女雛の位置をそれまでとは逆にしたことが始まりと言われて
 います。
参考資料  『五節供の楽しみ』 (冷泉為人著 淡交社) 京都の冷泉家の雛飾りの写真と説明 
 【中央・西京・久我 所蔵あり】
 『雛人形と雛祭り』 (読売新聞社) p160〜161 雛飾りの京風と関東風の違いについ
 て 【中央・伏中 所蔵あり】
 『雛と雛の物語り』 (藤田順子著 暮しの手帖社) p218 “男雛と女雛の飾り方” 
 【洛西・醍中 所蔵あり】
 『雛祭り雛めぐり』 (文化出版局) p88〜89 仕丁の持ち物について 【中央・右中・
 伏中ほか 所蔵あり】
 『雛まつり親から子に伝える思い』 (神田東久著 近代映画社) p28 左上位の“天
 子南面”という思想について 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】


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                              事例作成:2009.1
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質問 13  小倉餡(あん)のはじまりについて知りたい。
回答
 小倉餡とは,粒餡の総称として用いられることもありますが,漉(こ)し餡に蜜煮にした
 大納言小豆を混ぜ合わせた餡のことをいいます。

 一般には,江戸時代中期に江戸の菓子屋・船橋屋織江が創製し,小豆の粒を紅葉に
 縁のある子鹿の斑紋に見立て,百人一首の「小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとた
 びのみゆきまたなむ」(藤原忠平)にちなみ,今一度のお出でをお待ちするという意味
 で,小倉餡と名付けたと伝えられています。@『近世菓子製法書集成 1』 (鈴木晋
 一編訳注 平凡社) p340 に収録されている『菓子話船橋』に,当時の作り方が記さ
 れています。

 また一説には,京都の小倉山に由来するとの伝承もあるようです。それは,空海が中
 国から持ち帰った小豆の種子を小倉の里の和三郎が栽培し,宮中から下賜された砂
 糖で煮詰めて献上したというものです。
 A『語源たどれば京都』 (黒田正子著 ランダムハウス講談社) p231〜233 による
 と,平成17年,この伝承に基づき,井筒八ッ橋本舗が,小倉餡発祥の顕彰碑を小倉
 山二尊院境内に建立しました。

 この和三郎は,一般に煎餅(せんべい)の起源で知られ,同じく空海から製法を授か
 り,亀の甲煎餅と名付けて嵯峨天皇に献上,全国にその製法を広げたと伝えられて
 います。但し,この伝承については,B『たべもの史話』 (鈴木晋一著 平凡社)
 p65〜75で,文献的根拠が無く,内容が時代背景と不一致であるとの指摘もありま
 す。

参考資料  @【中央・醍中 所蔵あり】
 A【右中 所蔵あり】
 B【伏中・東山 所蔵あり】
 『たべもの起源事典』 (岡田哲編 東京堂出版) p81,258 【中央・右中・伏中ほか
 所蔵あり】
 『衣食住語源辞典』 (吉田金彦編 東京堂出版) p50 【中央・右中・伏中ほか 所
 蔵あり】
 『暮らしのことば新語源辞典』 (山口佳紀編 講談社) p167 【中央・右中・伏中ほか
 所蔵あり】
 『菓子』 (河野友美編 真珠書院) p130,131,242 【中央・右中 所蔵あり】
 『知っておきたい和菓子のはなし』 (小西千鶴著 旭屋書店) p110〜112 【伏中・醍
 中・下京・西京 所蔵あり】

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                              事例作成:2009.5
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質問 14  若水汲みについて知りたい。
回答
 “若水(わかみず)”とは元旦の早朝に汲む祝いの水で,これを汲むことを若水汲み・
 若水迎えといいます。
 水道が普及するまでは各地で元旦の大切な儀礼となっており,現在も川や泉から汲
 む旧慣を守っている地域も少なくありません。
 若水は年男が汲むのが一般的ですが,西日本では主婦を汲み手としている地域もあ
 ります。汲んだ若水は,年神に供えたり,洗顔や雑煮の支度に用いたりします。関西
 では梅干しや昆布を入れたものを福茶・大福茶といって祝います。これは若水が,邪
 気を払い幸いを招く,また人を若返らせると考えられているためです。

 若水汲みを神事としている神社も多く,京都では日向(ひむかい)大神宮の若水祭が
 よく知られています。元旦の午前三時より本殿前の朝日泉から若水を汲み,正月三
 が日の間参拝者に授与されます。このほか貴船神社等でも行われています。

 また裏千家では,茶室今日庵にある梅の井から若水を汲み,家元自らが大福茶を点
 て利休像に供えます。
参考資料  『三省堂年中行事事典』 (三省堂) p63〜66 【中央・右中・醍中ほか 所蔵あり】
 『神道史大辞典』 (吉川弘文館) p1039〜1040 【中央・右中・醍中 所蔵あり】
 『京の365日 下』 (横山健蔵写真・文 淡交社) p192 “若水祭(日向大神宮)” 
  【中央・右中・醍中ほか 所蔵あり】
 『京都歳時記』 (宗政五十雄編 淡交社) p23 “若水祭(日向大神宮)” 【中央・右
 中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京の季語 新年』 (橋本健次写真 光村推古書院) p12 日向大神宮・貴船神社
 の若水祭の写真あり 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『裏千家の四季』 (山上直子文 淡交社) p12 【中央・右中・下京・岩倉・久世 所
 蔵あり】

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                              事例作成:2009.5
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質問 15  地蔵盆について知りたい。
回答
 地蔵盆は,8月23日と24日にかけて各町内のお地蔵さまを供養する行事で,京都
 市を中心に近畿各地で行われます。
 お地蔵さまは,正式には地蔵菩薩(じぞうぼさつ)といい,地獄の鬼から子供を守ると
 いう信仰から,この日子供のために行事を行う風習が生まれました。
 各町内では,お地蔵さまを清め化粧直しをして飾り,果物やお菓子,花などを供え,
 その前で子供たちが百万遍大数珠繰り(ひゃくまんべんおおじゅずくり)などをします。

 今日のような地蔵盆がいつ頃から行われるようになったのかは,はっきりとはわかり
 ませんが江戸時代初期ではないかと推定されています。滝沢馬琴の『羇旅漫録(きり
 ょまんろく)』に「京の町々地蔵祭りあり」と記述され,また長谷川守貞の『守貞漫稿(も
 りさだまんこう)』にも「大阪諸所地蔵祭(中略)児童等集て或は戯れ或は百万遍を唱
 えなどす」と,当時の地蔵盆の様子が述べられていて,現在と行事のありさまはほぼ
 似ていたと考えられます。(『子育ての町・伏見 酒蔵と地蔵盆』より)
 @『地蔵盆の手帖(手帳)』 (松浦忠平/作 壬生寺) p15〜28「手づくりでじぞう盆し
 ましょう」では,お地蔵さまの飾りつけ方法や,催しの例などがイラストとともに紹介さ
 れていて,地蔵盆の行事を行う際の参考になります。

 A『子育ての町・伏見 酒蔵と地蔵盆』 (伏見のまちづくりをかんがえる研究会著 都
 市文化社) p171〜242「第五章 夏の風物詩・地蔵盆」では,伏見地域の地蔵盆の
 様子が詳しく述べられています。

 次の資料でも地蔵盆について詳しく知ることができます。
 B『地蔵盆 京の夏、おもいで絵ばなし』 (松浦忠平/作 クロウ・アンド・スパイス)
 C『京の儀式作法書 改訂版』 (岩上力著 光村推古書院) p278〜283
 D『京のならわし 冠婚葬祭贈礼法Q&A』 (岩上力著 光村推古書院) p240〜245 
 E『誤解される京都』 (駒敏郎著 本阿弥書店) p34〜39 
 F『京都滋賀子どもの祭り』 (京都新聞社) p170〜175 
 G『地蔵の世界』 (石川純一郎著 時事通信社) p181〜187 
 H『民間の地蔵信仰』 (大島建彦編 渓水社) p389〜395,451〜467

 ほか,下記の参考資料もご覧ください。
参考資料  @【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 A【右中・伏中・醍中ほか 所蔵あり】
 B【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 C【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 D【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 E【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 F【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 G【醍中 所蔵あり】
 H【中央 所蔵あり】

 『京都大事典』 (淡交社) 【洛西を除く全館 所蔵あり】
 『日本民俗大辞典 上』 (福田アジオ[ほか]編 吉川弘文館) 【中央・右中・伏中・醍
 中・左京 所蔵あり】
 『京のお地蔵さん 新版』 (竹村俊則著 京都新聞出版センター) p180〜182 【中
 央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『人づくり風土記 26 京都』 (加藤秀俊[ほか]編 農山漁村文化協会) p52〜53 
  【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都西陣きもの町』 (毛利ゆき子著 京都新聞出版センター) p48〜49 【中央・右
 中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都の夏祭りと民俗信仰』 (八木透編著 昭和堂) p195〜196 【中央・右中・伏中
 ほか 所蔵あり】
 『盆に迎える霊 京都の盆行事と芸能』 (亀岡市文化資料館) p18〜20 【右中 所
 蔵あり】
 『地蔵信仰と民俗』 (田中久夫著 岩田書院) 【醍醐 所蔵あり】
 『地蔵信仰(民衆宗教史叢書 10)』 (桜井徳太郎編 雄山閣) 【中央 所蔵あり】



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                              事例作成:2009.9
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質問 16  石座(いわくら)神社の火祭について知りたい。
回答
 石座神社は,京都市左京区岩倉上蔵(あぐら)町,岩倉実相院の北にあります。
 その例祭で行われる松明神事は「石座神社の火祭り」「岩倉火祭」などと呼ばれ,京
 都市の登録無形民俗文化財に指定されています。従来は10月23日の未明に行わ
 れていましたが,現在は23日に近い土曜日の未明に行われています。

 この火祭は,2匹の大蛇の出現に苦しめられた村人が石座大明神に祈願し,神前の
 灯火で退治したという伝説に起因し,大蛇に見立てた直径2メートル長さ8メートルほ
 どの2基の大松明が焚かれます。


参考資料  『京都大事典』 (淡交社) 【洛西を除く全館 所蔵あり】
 『京都暮らしの大百科』 (梅原猛/監修 淡交社) p336 【中央・右中・伏中ほか 
 所蔵あり】
 『京都市の文化財 京都市指定・登録文化財集 民俗文化財』 (京都市文化観光局
 ) p55 【中央・右中 所蔵あり】
 『京の百祭』 (平凡社) p20〜21 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京の祭と歳時記』 (京都民報社) p75 【右中 所蔵あり】
 『京都の祭り暦』 (森谷尅久編 小学館) p142 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都歳時記』 (宗政五十緒編 淡交社) p267 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都・山城寺院神社大事典』 (平凡社) p81〜82 【中央・右中・伏中ほか 所蔵
 あり】
 『昭和京都名所図会 3 洛北』 (竹村俊則著 駸々堂出版) p188〜189 【中央・
 右中・伏中ほか 所蔵あり】

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質問 17  桂女(かつらめ)について知りたい。
回答
 桂女とは,桂の里(京都市西京区,旧山城国葛野郡桂村)から鮎や桂飴と呼ぶ飴を
 持って,京の町へ売りに来た女性のことで,近世には白い布で頭を包み,着物を短く
 着た独自の風俗で知られていました。

 彼女たちは宗教上の力も持っており,公家など有力者の出産や祝いごとの席に参加
 し,江戸時代には婚礼の行列には必ず桂女が付くという風習までできました。この特
 殊な地位について,巫女的性格と結び付ける説が有力で,平安時代には公家衆の産
 屋が桂地方に多くあったので,その地の女性がお産の世話をするようになり、お産の
 世話→穢れのお祓い→占い→ミコという職業に発展し,さらにお産の手伝いをした縁
 で,公家の屋敷に出入りし,巫女的性格から他の祝いごとにまで呼ばれるようになっ
 たと考えられています。

 他にも,宴席に歌舞をもって芸能者として扱われたり,戦陣に御陣女房(遊女)として
 従軍したという記録が残り,鵜飼集団の行商人を発祥とし,諸国を遍歴したとする研
 究もあります。この多面的な側面は,桂女がただの物売りとは一線を画した存在であ
 ることを物語ります。

 現在生きた桂女と対面することはありませんが,時代祭の中世婦人列の中に再現し
 た衣装を着た桂女をみることができます。また@『国宝上杉本洛中洛外図屏風』(室
 町時代に成立)にもその姿は描かれ,A『京の女人風俗』に白黒写真があります。
参考資料  @『国宝上杉本洛中洛外図屏風』 (米沢市上杉博物館発行) 【右中 所蔵あり】
   p19 屏風の左隻第三扇に桂女が4人描かれている
 A『京の女人風俗』 (京都新聞社編 河出書房新社) 【右中 所蔵あり】
   p45〜53 桂女の歴史と民俗について論じる。
 『柳田國男全集 26』 (柳田國男著 筑摩書房) 【中央・右中 所蔵あり】
   p349〜358 “桂女由来記”主に歴史文献に名を残す桂女を中心にルーツを探る。  
 『京都の歴史 第二巻 中世の明暗』 (京都市史編さん所発行) 【中央・右中・伏中
 ほか 所蔵あり】 
   p164〜165 宗教的芸能に携わった水辺の漁撈集団と説明。
 『史料京都の歴史 15 西京区』 (京都市編 平凡社) 【中央・右中・伏中ほか 所
 蔵あり】 
   p31〜33 “桂女の原像”鮎売りを生業とする女性として紹介。    
 『日本中世の非農業民と天皇』 (網野善彦著 岩波書店) 【中央・伏中 所蔵あり】
   p392〜429 “鵜飼と桂女” 鵜飼集団の女性としての桂女について論じる。 
 『時代装束 時代祭資料集成』 (京都書院) 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
   p134〜135 “中世婦人列の中の桂女のカラー写真と説明”



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                              事例作成:2009.9
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質問 18  美山町にある,茅葺(かやぶき)屋根の民家の写真を見たい。
回答
 京都府南丹市美山町は,京都府のほぼ中央に位置し,桂川,由良川上流の雄大な
 自然にあふれた所です。また,福井県との県境に近く,若狭の海産物を京都に運ん
 だ街道(周山街道など)が通っています。
 町には,昔ながらの茅葺の民家が約250軒立ち並び,日本で最も多くの茅葺民家が
 残っていると言われています。

 平成5年には,美山町北村(北集落)にある集落が文化庁の「重要伝統的建造物群
 保存地区」に選ばれ,茅葺民家の意匠や北山杉に囲まれた農村景観が広く認められ
 ました。さらに,小林家住宅や石田家住宅など個人の茅葺民家が国指定の重要文化
 財になっています。北村は「かやぶきの里」という名で知られ,全国各地から多くの観
 光客が訪れています。
 この集落の茅葺民家のほとんどが江戸時代に建てられ,その独特な構造から北山型
 民家に分類されます。 北山型民家とは,
 1 屋根の形式は入母屋(いりもや)造り
 2 土間は上げにわ(土を盛り上げて床とほぼ同じ高さにする)で狭い
 3 中央の棟木の筋で部屋を分けてある
 4 合掌造りではなく,束{つか(柱の短いもの)}と繋ぎ梁を組んで屋根構造の強度を
 生み出す
 5 土壁を用いず板壁が多いなどの特徴があります。

 また,屋根の頂上に雨仕舞い(雨水が入らないようにする)のために茅を載せ,ウマノ
 リ(馬乗り)という千木(ちぎ)に似た木を棟にまたがらせて結わえます。ウマノリは普
 通5個あり,その上にユキワリ(雪割り)という細い丸太を載せます。ウマノリが7個あ
 るのはかつての庄屋など特別な家です。
 美山町の茅葺民家の写真が多く載っているものは,@〜Bですが,以下の参考資料
 にも写真があります。

参考資料  @『美山茅葺きの里』 (あらたひでひろ著 東方出版) 【中央・右中・伏中ほか 所蔵
 あり】
 A『京都府茅葺民家写真集』 (宮秋算悟[ほか]写真 片岡守) 【右中・左京 所蔵あ
 り】
 B『週刊日本の町並み No.15 鞍馬・美山』 (学習研究社) p18〜29 【右中 所蔵
 あり】
 『日本の家 1』 (藤井恵介監修 講談社) p28〜33 【中央・右中・伏中 所蔵あり】
 『日本の町並み 1 近畿・東海・北陸』 (西村幸夫監修 平凡社) p28〜31 【中央・右
 中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京・美山周辺の四季』 (水中聡一郎著 光村推古書院) 【中央・右中・伏中ほか 所
 蔵あり】
 『かやぶき民家の四季』 (佐野昌弘写真・文 扶桑社) p8,9,30,40,41,106,
 107,128,129 【伏中・醍中・醍醐・久我ほか 所蔵あり】

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質問 19  京漬物の歴史を知りたい。
回答
 四方を海に囲まれた日本では海水を利用した食糧の塩漬け保存が古くから行われて
 いました。特に京都は,海から遠いため生魚が入手しづらく保存食が必要であったこ
 と,アルカリ土壌が美味な野菜を育んだこと,気候が漬物作りに適していたことなど条
 件に恵まれ,そこに洗練された京文化のセンスが加わり,京漬物と呼ばれるほど漬
 物の産地として大きく発展しました。

 京漬物の中で最も歴史が古いのは「すぐき漬け」です。蕪の一変種であるすぐき菜を
 塩だけで漬けるもので,天秤重石による漬け込みや室(むろ)での人工発酵は,世界
 的にも類がありません。すぐき菜の起源には二つの説があります。ひとつは,350年
 ほど前に上賀茂神社の神職者が,賀茂の河原に自生していた蕪に似た植物を,自分
 の庭に持ち帰り,栽培し始めたという説。もうひとつは,宮中に献上された野菜を同じ
 く上賀茂神社の神職者が宮中より貰い受けて栽培したのが始まりという説です。すぐ
 きを作るのは,初め神職者の間に限られていて,農家へ伝わったのは江戸末期で
 す。
 神職者や農家の間では,すぐきをよそへ出すことを禁じ,上賀茂の特産として希少価
 値の保持に努めていました。長い間,自家用に作られていましたが,明治26年(189
 3)に上賀茂の東の深泥池に大火があって,住民が復興のためにすぐきを京の町へ
 売りに出たのが,本格的な販売の始まりと言われています。

 千枚漬が今の形になったのは江戸末期です。聖護院蕪の漬物は天保年間(1830〜
 44)から存在していましたが,蕪に縦の刻みを入れて塩漬けしただけのものでした。
 慶応元年(1865)に,御所の料理人がこの蕪を薄く輪切りにし,塩漬けの後,昆布や
 調味料で味を調え,御所の宮中の献立に加えたのが千枚漬の始まりです。

 しば漬けは,洛北の大原で古くから漬けられていました。この近郊でとれる加茂なす,
 みょうが,しそなどを刻んで塩漬けにします。寂光院で仏門に帰依していた建礼門院
 に近隣の住民が自家製の漬物を献上したところ,その鮮やかな色合いと華やかな香
 りに感動されて,紫葉漬(しばづけ)と名付けられたそうです。

 その他の漬物については,参考資料をご覧ください。

参考資料  『つけものと京のくらし』 (大安) p72〜83 京の気候風土と漬物の発展について 
 【右中 所蔵あり】
 『京のつけもの 味わいと老舗ガイド 』 (淡交社) ※各種漬物の由来について 【右
 中・左京・東山ほか 所蔵あり】
 『旬香彩菜』 (石橋郁子/文 光村推古書院) ※京漬物の歴史と各種漬物の由来
 について 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】

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質問 20
 京北矢代中町の日吉神社で行われる「矢代田楽」について知りたい。
回答
 矢代田楽とは京都市右京区京北矢代中町にあり,日吉山王二十一社を祀る日吉神
 社の秋祭に奉納される神事です。発祥は,室町初期とされています。矢代田楽を行う
 のは,日吉神社を産土(うぶすな)の神とする矢代中・矢代西・漆谷・浅江に住む六苗
 (ろくみょう:藤野・丸橋・野村・村山・西藤・中道)で構成されている宮座による組織で
 す。                                                   
 田楽は九名で構成され,禰宜(ねぎ)を入れて十名が祭礼への特別奉仕者となり,笛
 が一人,花笠を冠り褐布を着たビンザサラ四人,花笠に白丁を着た太鼓四人で行わ
 れます。ビンザサラは田楽踊(でんがくおどり:田楽躍とも書く)で用いる重要な楽器
 で,多数の木や竹の小片の上端を紐で編むようにして重ね,両端に取っ手を付けた
 ものです。両手で持ち,揺すったり,突くようにしてすべての板を打ち合わせます。

 田楽踊では,笛の音に合わせてビンザサラと太鼓を打って拝殿を巡り,ビンザサラ役
 は黒,太鼓役は白の素襖(すおう)をつけ,竹ひごを組み合わせた笠を被ります。背を
 丸めた前屈の姿勢で足を高くあげたり,足を踏みかえ舞殿を輪舞します。踊りが一段
 落するごとに先頭の者の笠につけた御幣を取り,神前に供えます。御幣は山王二十
 一社に奉納する意味で,合計21枚奉納します。 

 矢代田楽については,以下の資料をご覧ください。
 @『京都の田楽調査報告書』 (京都府教育委員会編 大文字書林) 田楽踊の詳し
 い芸態のほか,宮座,衣装,楽器についてたいへん詳しく記述されています。 
 A『京都の民俗芸能』 (京都府教育委員会編 大文字書林) 宮座についてわかり
 やすく記述されています。
 B『京畿社寺考』 (岩橋小弥太著 国史講習会雄山閣) p103〜p141 “丹波日吉神
 社考” では,矢代田楽について詳しく記述があります。
 C『京の歳時記今むかし』 (山路興造監修 平凡社) p116 奉納踊りが舞台を回る
 様子と,笛方を先頭にビンザサラ役・太鼓役が神社へ進む様子のカラー写真がご覧
 いただけます。
 D『京都暮らしの大百科』 (梅原猛監修 淡交社) p317 舞台のカラー写真がご覧
 いただけます。


参考資料  @【右中 所蔵あり】
 A【右中 所蔵あり】
 B【右中 所蔵あり】
 C【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 D【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『日本大百科全書 第10巻』 (小学館) “簓(ささら)”の項 【中央・伏中・醍中ほか 
 所蔵あり】
 京北商工会ホームページ http://keihoku.kyoto-fsci.or.jp/html/mati/map/aki2.html 
 (平成24年3月20日確認) 

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質問 21
 “茅(ち)の輪くぐり”について知りたい。
回答
 六月晦日(みそか)もしくは月遅れで七月晦日の「夏越祓(なごしのはらえ)」で行われ
 る,チガヤで作った大きな輪をくぐる行事です。チガヤの輪の呪具は蘇民将来の伝説
 にも出てくるもので,古くは腰につけるものでした。現在では,神社の鳥居の下などに
 この茅の輪を設けており,参詣者がこれをくぐることによって,穢れを祓ったり,疫病
 などの災厄を免れると信じられています。    

 「水無月の夏越の祓する人はちとせの命のぶというなり」と唱えながら左回り,右回り
 左回りの順に八の字を描くように三回くぐります。

 茅の輪くぐりの作法については,@『日本のしきたりがよく分かる本』 (日本の暮らし
 研究会著 PHP研究所) p49 に図で説明があります。 
 また,民俗辞典や年中行事辞典などに“茅の輪くぐり”“茅の輪”の項目で由来が載っ
 ています。  

 そのほか,下記の参考資料もご覧ください。


参考資料  @【中央・山科・西京 所蔵あり】
 『京のならわし 冠婚葬祭贈礼法Q&A』 (岩上力著 光村推古書院) p175 【中央・右
 中・伏中ほか 所蔵あり】 
 『魔よけ百科 かたちの謎を解く』 (岡田保造著 丸善) p58〜59 【中央・右中・伏中ほ
 か 所蔵あり】 『「かたち」の謎解き物語 日本文化を○△□で読む』 (宮崎興二著 
 彰国社) p86〜93 【下京・岩倉 所蔵あり】 
 『「頼れる神様」大事典』 (戸部民夫著 PHP研究所) p105〜106 【中央・伏中・醍中ほ
 か 所蔵あり】
 『兵庫県の民話』 (日本児童文学者協会編 偕成社) p74〜77 【中央 所蔵あり】 
 『桜井満著作集 第九巻 花の民俗学』 (桜井満著 おうふう) p154〜160 【中央 所
 蔵あり】

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質問 22
 京都の町家の屋根に置かれている“鍾馗(しょうき)”の由来を知りたい。
回答
 鍾馗とは,唐の玄宗皇帝が病の時に見た夢で鬼を退治し,皇帝の病気を治したとい
 われる中国の故事にちなむ神です。厄を払い,魔を除くという意味から五月人形にも
 用いられています。京都では町家の屋根に瓦製の鍾馗を置き,家内安全を祈願する
 という習わしがあります。

 @『京都・町並散歩』 (京都新聞社編 河出書房新社) p20〜21 “鍾馗さん”では,
 京都で町家の屋根に鍾馗を置くようになった由来として,江戸期の『街談文々集要』
 が紹介されています。
 A『洛中・洛外の鍾馗』 (服部正実著・発行) では,京都で撮影された鍾馗が多数
 収録されています。
 B『京都民家巡礼』 (橋本帰一著 東京堂出版) p112 “小屋根の鍾馗”,C『縁起
 物 京の宝づくし』 (岩上力著 光村推古書院) p195〜196 においても,鍾馗の由
 来について記述があります。

 以下の資料でも,鍾馗が掲載されています。
 D『京都の意匠2』 (吉岡幸雄著 建築資料研究社) p62〜63 “鍾馗” 
 E『京町家 スローライフに学ぶ生活術』 (淡交社) p50〜51 “屋根” 
 F『京の町家小路散歩』 (JTBパブリッシング) p91 “鬼瓦を睨む鍾馗さん”  
 

参考資料  @【右中 所蔵あり】
 A【中央・右中 所蔵あり】
 B【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 C【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 D【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 E【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 F【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『中国人の生活と文化』 (朱恵良著 二玄社) p18〜23 “端午の節句と鍾馗” 【醍
 中・醍醐 所蔵あり】
 『道教の神々』 (窪徳忠著 講談社) p273〜275 “鍾馗” 【中央・右中・醍中 所蔵
 あり】 


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質問 23
 はなびら(葩)餅の由来を知りたい。
回答
 はなびら餅は,薄く円形にのばした白い求肥(ぎゅうひ)に,紅色に染めた菱形の求肥
 ・白味噌で作った餡・甘く煮たごぼうを置いて二つ折りにしたもので,茶道の初釜に使
 われるお菓子として有名です。

 宮中の正月行事の「菱葩(ひしはなびら)」に由来します。鏡餅の上に,薄い円形の餅
 (葩)と紅色の菱餅をそれぞれ12枚のせたものを「菱葩」といいました。この菱葩は「
 歯固め」という長寿を願って行われる元日の儀式に使われるもので,丸餅の上に菱
 餅を重ね,柔らかく煮たごぼうと味噌をのせて二つに折り,雉子酒(きじざけ:焼いた
 雉子の肉に熱い酒を注いだもの)と一緒に食べました。

 茶道の初釜のお菓子として使われるようなったのは,明治初年に裏千家家元が宮中
 の許可を得てから以降ということです。
 
参考資料  『たべもの起源事典』 (岡田哲編 東京堂出版) p378〜379 “はなびらもち(葩餅)”
 ,p388〜389 “ひしもち(菱餅)” 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『和菓子の京都』 (川端道喜著 岩波書店) p59〜84 “葩餅,肴から茶菓子へ” 【
 中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『全集日本の食文化 第6巻』 (芳賀登監修 雄山閣出版) p39〜57 “江戸期の宮
 廷と菓子” 【中央・右中・醍中 所蔵あり】
 『伝統にいきる京のお菓子』 (中央公論社) p90〜91 【右中 所蔵あり】
 『カラー京都の菓子』 (鈴木宗康著 淡交社) p25〜28 【右中 所蔵あり】
 『事典和菓子の世界』 (中山圭子著 岩波書店) p118〜119 【中央・右中・伏中ほ
 か 所蔵あり】
 『図説和菓子の今昔』 (青木直己著 淡交社) p124〜126 【右中・醍中・北ほか 
 所蔵あり】
 『和菓子ものがたり』 (中山圭子著 新人物往来社) p26〜30 【伏中・左京・山科ほ
 か 所蔵あり】
 『もち(ものと人間の文化史)』 (渡部忠世著 法政大学出版局) p245〜250 【中央
 ・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『日本年中行事辞典』 (鈴木棠三著 角川書店) p48 【中央・北・東山ほか 所蔵あ
 り】
 『天皇家の食卓』 (秋場竜一著 DHC) p18〜19 【岩倉 所蔵あり】
 『昭和天皇日々の食』 (渡辺誠著 文芸春秋) p87,89 【中央・伏中・醍中ほか 所
 蔵あり】
 『昭和天皇の料理番』 (谷部金次郎著 講談社) p42〜43 【中央 所蔵あり】

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質問 24  鞍馬の火祭で,松明(たいまつ)を担ぐ男衆が身に着ける独特な装束について知りた
 い。
回答
 10月22日の夜に行われる鞍馬の火祭は,鞍馬一帯の氏神である由岐(ゆき)神社
 の例祭で,広隆寺の牛祭・今宮神社のやすらい祭とならぶ京都三大奇祭の一つで
 す。

 午後6時,「神事にまいらっしゃれ」という触れ声を合図に火祭が始まり,子供や若者
 たちが大小の松明を担ぎながら町内を練り歩きます。

 長さ5m以上もの大松明を担ぐ男衆は,素裸に船頭籠手(せんどうごて),締込み,脚
 絆(きゃはん)を着け,武者草鞋(むしゃわらじ)を履き,鉢巻きを締め,肩に布を畳ん
 だ肩当てを掛けて,背中には魔除けのために南天の小枝を付けています。
 @『月刊 京都 2010年10月号』 (白川書院) p57 では,この正装束を図解で詳
 しく知ることができます。

 それぞれの装束には,次のような意味があります。
  船頭籠手・・・船頭の強い腕力を表す
  黒の締め込み・・・相撲力士の強い力を表す
  武者草鞋・・・武士に次ぐ地位を表す
  黒の脚絆・・・飛脚の速く強い足を表す

参考資料  @【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『日本の祭り文化事典』 (星野紘監修 東京書籍) p522〜523 【中央・右中・伏中
 ほか 所蔵あり】
 『秋の奇祭』 (田中緑紅著 京を語る会) p29〜53 【中央・右中・伏中 所蔵あり】
 『週刊京都を歩く No.13 鞍馬』 (講談社) p14〜17 【右中・伏中 所蔵あり】
 『日本の祭』 (芸術新潮編集部著 新潮社) p90〜101 【久我 所蔵あり】
 『鞍馬山歳時記』 (信楽香雲著 鞍馬弘教総本山鞍馬寺出版部) p152〜165 【右
 中 所蔵あり】
 
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                              事例作成:2011.3
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質問 25
 京都の井戸について,伝説などを知りたい。
回答
 @『改訂京都民俗志』 (井上頼寿著 平凡社) p21〜87 “井”や,
 A『京洛名水めぐり』 (駒敏郎著 本阿弥書店)には,
 地誌などによく出てくる井戸や,歴史上の人物にまつわる井戸など,京都の井戸がま
 とまって紹介されています。

 また,以下の資料にも井戸にまつわる伝説などについて書かれています。
 B『かくれた史跡100選 京滋の観光』 (京都新聞社編発行)  “牛若丸誕生の井”
 ,“草紙の井戸”,“常盤井の井筒”,“観世井”,“御池の水”,“六角獄舎”
 C『京都・伝説散歩』 (京都新聞社編 河出書房新社) “小町草紙洗ノ井”,“鉄輪
 の井”, “千代の井”,“清盛の井”

 そのほか,下記の参考資料もご覧下さい。
 

参考資料  @【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 A【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 B【右中 所蔵あり】
 C【右中・下京 所蔵あり】

 『水が語る京の暮らし 伝説・名水・食の文化』 (鈴木康久著 白川書院) “菅原道
 真公ゆかりの名水”,“京都に生きる「弘法水」” 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『聚楽第・梅雨の井物語』 (中西宏次著  阿吽社) p151〜220 “第三章 梅雨の
 井” 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都千年 7 伝説とその舞台』 (講談社) “牛若丸誕生の井”,“水薬師の井”,
 “鉄輪井戸” 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都妖怪紀行』 (村上健司[著] 角川書店) “小野篁”,“鉄輪井” 【中央・右中・
 伏中ほか 所蔵あり】
 『京都街角の伝説』 (黒沢賢一著 本の泉社) “六道珍皇寺”,“鉄輪井”,“小野小
 町” 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】


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質問 26
 京都で梯子(はしご)や鞍掛(くらかけ)を売っていたという,畑の姨(はたのおば)に
 ついて知りたい。
回答
 京都でものを売る人として,大原女(おはらめ),白川女(しらかわめ)がありますが,
 畑の姨は,たきぎ,梯子,鞍掛(四脚の踏み台),床机(しょうぎ),餅箱などを頭上に
 載せて売った右京区梅ケ畑周辺の女性のことです。畑の姨は,“おば”というとおり
 中年以上の女性が多く,“畑の姥”とも書きます。

 「はしご,くらかけ,いらんかなぁ」と売り歩く姿の白黒のアップの写真が@,Bにあり
 ますが,梯子などの大きな物を頭に載せる力強さがよく分かります。逸話として,『東
 海道中膝栗毛』には弥次郎兵衛,喜多八が畑の姨をひやかしたばかりに,梯子を押
 売りされる場面が描かれており,その様子を現代文に訳したものがAにあります。

 また,畑の姨の服装は,カスリか縞(しま)の紺の木綿に,三幅前垂れ(みはばまえ
 だれ),脚絆手甲(きゃはんてっこう)は夏は白,冬は黒,手拭を姉さんかぶりにし,
 特徴があるのは,重い梯子などを運ぶために頭に「戴き袋」というクッションになるも
 のをのせていたこと,着物の上からタッツケ(もんぺ)をはき,キセルを持っていたこと
 です。

参考資料  @『京の女人風俗』 (京都新聞社編 河出書房新社) p33〜44 【右中 所蔵あり】
 A『路 西山街道』 (明永恭典編 星光社) p266〜269 【中央・右中・伏中 所蔵
 あり】
 B『京のくらし 伝統と風俗』 (高桑義生解説 光村推古書院) p101 【右中 所蔵
 あり】
 『京おんな』 (京都新聞編集局編 河出書房新社) p211〜218  【右中 所蔵あり】
 『京都 第3巻第3号』 (田中俊次編 郷土趣味社) p5〜10 【右中 所蔵あり】
 『京ことば歳時記』 (井之口有一編 桜楓社) p100〜107  【中央・右中・伏中ほか
 所蔵あり】
 『あのころ京都の暮らし』 (中村治著 世界思想社) p72〜73 【中央・右中・伏中ほ
 か 所蔵あり】


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                              事例作成:2011.12
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質問 27
 天橋立にまつわる龍の伝説について知りたい。
回答
 天橋立の南側対岸にある,智恩寺(ちおんじ)に伝わる「九(久)世戸縁起(くせとえん
 ぎ)」には,次のような話が書かれています。

 昔,悪龍がこの地を占領し大暴れしていて,人も住むことができなかった。
 イザナギノミコトとイザナミノミコト,ふたりの神様達は相談し,龍を教え導くために中
 国の五台山から文殊菩薩を招いた。
 文殊菩薩は千年もの間説法をし,ようやく龍たちは改心し人々を守る龍神になるよう
 に誓った。
 神々は,文殊菩薩が手に持つ如意(にょい:説法・読経などの時に導師が所持する
 仏具。孫の手に似た形で,先端をわらび形に巻き曲げたもの。)に乗って海に降り
 た。
 如意が海に浮かんだのを「天の浮橋」といい,龍神が一夜で土を置いて島にした。こ
 の島が「天橋立」となった。

 毎年7月24日には,この伝説に由来する「天橋立文殊堂出船祭」が行われます。
 また,謡曲「九(久)世戸(くせのと)」は,この縁起が素材となっています。

参考資料  『日本三景「天の橋立」史跡・名勝めぐりガイドブック』 (天橋立観光協会文珠支部)
 【右中 所蔵あり】
 『宮津ええとこ』 (宮城益雄著 あまのはしだて出版) 【中央・右中・伏中・醍中 所
 蔵あり】
 『智恩寺と天橋立』 (若杉準治監修 智恩寺) 【右中 所蔵あり】
 『宮津・与謝 ふるさと絵巻』 (宮津青年会議所) 【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『解註謡曲全集 巻1』 (野上豊一郎編 中央公論社) p265〜274 “九世戸” 【中
 央・右中・伏中・洛西 所蔵あり

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                              事例作成:2011.12
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質問 28
 祇園祭の頃に,京都の人がきゅうりを食べない理由を知りたい。
回答
 
祇園祭は八坂神社の祭りであることから,特に祇園社(八坂神社)の氏子は祇園祭
 の間, 八坂神社の神紋がきゅうりの切り口に似ているので,恐れ多いとして食べな
 いと言います。
 八坂神社の神紋「もっか,もっこう」は,諸説ありますがA『神道講座 第6巻 課外篇』
 (原書房) p82〜86 ,B『京都 1983年12月号』(白川書院新社) p41 によると,御
 所の御簾の上部にある水引風の飾り布である帽額〔も(っ)こう〕の文様にならってい
 ます。これを「もこう=木瓜(もっこう)」と字を当て,後に“木瓜”が“胡瓜”となり,きゅう
 りの切り口と見たようです。
 この風習は,京都の地域によって様々であり,きゅうりを栽培してはならない,食べて
 もならないという厳格な所もあれば,栽培してもいいが祇園祭の間は食べてはならな
 いとする所もあります。もちろん絶対食べない人もいますが,最近では八坂神社の氏
 子でさえも,あえて食べないが輪切りでなければ食べる,出されたら食べるという人
 がいるようです。
 どちらにせよ,京都の人々が“紋”を大切にし,祇園神である牛頭天王に対して畏敬
 の念を抱いている表れであるようです。
 きゅうりと祇園社の伝説はいくつかあり,@『京都民俗志』(井上頼寿著 平凡社)
 p177〜178 に詳しい記載があります。
参考資料  @【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 AB【右中 所蔵あり】
 『京のあたりまえ』 (岩上力著 光村推古書院 ) p32〜33 【中央・右中・東山ほか 
 所蔵あり】
 『京の野菜記』 (林義雄著 ナカニシヤ出版) p134〜135,143〜145 【中央・右中・
 伏中ほか 所蔵あり】
 『官幣大社八坂神社略誌』 (高原美忠編 官幣大社八坂神社) p15 “御神紋” 
 【右中 所蔵あり】
 『京都 2010年7月号』 (白川書院) p51 【右中 所蔵あり】


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質問 29
 高台寺境内から発射されていた午砲(ドン)について知りたい。
回答
 午砲とは,市民に正午を知らせるために打った空砲で,まさに大砲の「ドン」という音
 がそのまま午砲をさすようになりました。
 明治4年(1871)9月に太政官達で「日々正午に大砲を一発発射する」との布告が
 出されて以来,全国の主要地域で実施され,市民にお昼のドンとして親しまれていま
 した。

 @『京都市政史 第4巻』(京都市市政史編さん委員会編集 京都市) p24 には,高
 台寺の号砲設置について,明治20年(1887)6月18日の日出新聞の記事が引用
 されています。京都市街には正午号砲がないために時刻が一定せず,商工業上は
 もちろんその他のことにおいても不便である,号砲を設置・発射して市中の時刻を一
 定にするよう上京下京両区長より京都府知事に伺いが出されたとあります。

 A『目で見る京都市の100年』(白木正俊監修 郷土出版社) p29 には,“高台寺の
 時報砲台”として写真が掲載されています。明治22年(1889)京都市誕生の際に,
 高等小学校,防火施設などとともに,上京下京両区役所から市が引き継ぎ,その後
 明治天皇の大葬が行われた大正元年(1912)には,午前11時にこの号砲が響き,
 市内のあらゆる場所で遥拝の儀が行われたとあります。

 しかし大正初期に,高台寺の建物に影響するといった理由で廃止,新日吉神宮(い
 まひえじんぐう)に寄贈されて現在は台座のみが残っています。号砲自体は,戦時中
 に供出されたもようです。
 B『京都市政史 第1巻』(京都市市政史編さん委員会編集 京都市) p140 に新日吉
 神宮に残る台座の写真が掲載されています。
参考資料  @AB【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】 
 『図説明治事物起源事典』 (湯本豪一著 柏書房) p186〜187 【中央・右中・
 醍中・左京・吉祥院 所蔵あり】
 『時と時計の雑学事典』 (織田一朗著 ワールドフォトプレス) p121〜122 【中央・
 右中・伏中 所蔵あり】
 『暦と時の事典』 (内田正男著 雄山閣) p206〜207 【中央・右中・伏中・醍中・
 久我 所蔵あり】 
 『京都新聞』 平成17年(2005)4月27日朝刊1面 “街の漢字抄「砲」” ※新日吉
 神宮に残る台座についての記事あり 【中央・右中・伏中・醍中 CD-ROM所蔵あり 
 右中 マイクロフィルム所蔵あり】 


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質問 30  還暦,米寿などの長寿祝い(年祝い)に色が決まっているようだが,何色か知りたい。
回答
 長寿を祝う節目の年齢には,還暦,古稀,喜寿,傘寿,米寿などの名称があり,賀寿
 (がじゅ)としてお祝いをしてきました。これまでの長寿に敬意を表し,これからの健康
 と長生きを願うものです。一般的には数え年で祝いますが,現代では満年齢で祝うこ
 とも多くなっています。

 還暦は赤,七十代の古稀・喜寿は紫,八十代の傘寿・半寿・米寿は金茶,九十代の
 卒寿・白寿は白が象徴となる色とされています。還暦では60年でひと回りした干支が
 生まれた年の干支に戻るため,赤ちゃんに戻るという意味や魔よけの意味をこめて
 「赤」にちなんだ品物を贈る習わしがありますが,還暦以外のお祝いの色は自由にし
 てもよいという説もあります。
 
参考資料  『一生使えるお作法図鑑』 (PHP) p48〜50 “還暦祝”,p51 “古稀以降の長寿祝” 
 【中央・右中・北ほか 所蔵あり】
 『伊勢丹の最新儀式110番』 (伊勢丹著 誠文堂新光社) p138〜149 【右中・醍
 中・左京ほか 所蔵あり】
 『大人の常識とマナー 決定版』 (学研教育出版) p118 【北・西京 所蔵あり】
 『ポイントがよくわかる冠婚葬祭のマナー』 (世界文化社) p129 【南 所蔵あり】
 『今どきの冠婚葬祭 「お付き合い上手」のために』 (世界文化社) p151,p130
 “緑寿って何のお祝い?” 【岩倉・吉祥院・久我 所蔵あり】


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質問 31
 京都の雑煮の作り方,由来などを知りたい。
回答
 京都の雑煮は白味噌仕立てで,餅は丸餅を煮て食べるというのが一般的のようで
 す。餅のほかに,頭芋(かしらいも,里芋の親芋),小芋(里芋),大根が使われてい
 ます。それぞれの材料に由来があり,

 丸餅…「角が立たず何事も丸く収まるように」
 頭芋…「人の頭に立てるように(出世できるように)」
 小芋…「子孫繁栄」
 大根…「大地に根が張るように」

 という願いがこめられています。一年を丸く暮らせるようにと,全て丸く切って用いると
 ころもあれば,大根をおめでたい亀甲形に切っている家庭もあるようです。
 雑煮の作り方は下記資料をご覧ください。
 @『京都から伝えたい家庭の食ごよみ』 (京都食べもの文化研究会編 かもがわ出
 版) p122
 A『わたしにもできる京料理』 (飯田知史著 淡交社) p78〜81
 B『武者小路千家ゆかりの京の味と季の心』 (千澄子・後藤加寿子著 集英社)
 p136
 C『京都の郷土料理』 (飯塚久子・滋野幸子・堀浪子著 同文書院) p147
 D『京のおばんざい100選 京都下鴨松永料理教室』 (松永佳子著 平凡社) p7
 E『お雑煮100選 全国から集めた伝統の味』 (文化庁編著 女子栄養大学出版
 部) p22
 F『おばんざいレシピ 京の献立12か月』 (宇野千賀著 光村推古書院) p152
 G『京のおばんざい12か月』 (京都新聞社編 京都新聞出版センター) p11
 H『京 ごちそうさま お母さんの味』 (京都府生活研究グループ連絡協議会) p28

参考資料  @【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 A【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 B【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】 
 C【中央・右中・左京ほか 所蔵あり】
 D【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 E【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 F【中央・右中・伏中・醍中・左京・南 所蔵あり】
 G【右中・左京・岩倉・東山・下京・南・醍醐 所蔵あり】
 H【中央・右中・伏中ほか 所蔵あり】
 『京都大事典』 (淡交社) p562 【洛西を除く全館 所蔵あり】
 『京料理七十二候』 (飯田知史著 里文出版) p10 【中央・右中・伏中・醍中 所蔵
 あり】


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